海月漂流記

映画や本の感想、日記など。

読み聞かせの思い出

今週のお題が「絵本」らしい。好きな絵本を何冊か紹介したいと思う。

3人兄弟だったのと、幼少期は辺鄙なところに住んでいた(近所に図書館がなかった)ので、実家には「童話館ぶっくくらぶ」から送られてくる絵本が大量にあった。

douwakan.co.jp

日本の作品、海外の作品、民話やグリム童話など、さまざまな本が年齢に合わせて送られてくるので、いろんな本に触れることができた。そして、毎晩母(たまに父)に読み聞かせしてもらったことを今でも覚えている。

小学生の時に音読でよく褒められたのも、今でも本が好きなのも、幼少期の絵本との関わりのおかげだったのではないかと思っている。

 

『からすのパンやさん』(かこさとし作・絵、偕成社、1973年)からすのパンやさん - 偕成社 | 児童書出版社

言わずと知れた名作。かこさとしといえば、この見開きいっぱいに描かれた「ものづくし」。『だるまちゃんとてんぐちゃん』でも帽子やうちわがたくさん描かれているが、『からすのパンやさん』のパンには全てパンの名前がついている。これを全部音読してもらうのが楽しかった。たくさんあるので、早口で読んでいる様子や、パンを読み飛ばしたとき「このパンまだ読んでない!」と姉と一緒になって親に指摘してワイワイしたのを覚えている。

きょうりゅうパン、こねこパンが可愛い。

 

『マリールイズ いえでする』(ナタリー・サヴィッジ・カールソン作、ホセ・アルエゴ絵、星川奈津代訳、童話館出版、1996年)

マリールイズいえでする

マングースの女の子が、いたずらが過ぎてお母さんにぶたれ、怒って家出し、新しいお母さんを探す物語。お母さんの懐が大きくて、「いえでする!」と宣言したマリールイズに、「そう簡単にお母さんは見つからないわよ」とサンドイッチを作ってあげるのが面白い。マリールイズのお母さん探しは難航して、いろんなお母さんに断られちゃうんだけど、マリールイズの自己肯定感が高くて、「次のお母さんのところにいこう!」となるのも可愛い。

 

『ボビーとそらいろのヨット』(マーガレット・バーディック作・絵、わたなべしげお訳、童話館出版、1995年)

ボビーとそらいろのヨット [書籍]

そらいろのヨットに一目惚れしたカワウソのボビーが、交換してくれる「いいもの」を探す物語。いろんな「いいもの」を持っていくけれど、なかなか上手くいかない。美味しいニレの枝を持って行ったとき、お店のオーナーのアナグマさんに「ニレの枝は食べるとなくなっちゃうけど、ヨットはなくならない。ボビーがずっとヨットで遊べるように、ビーバーさんがずっと楽しめる『いいもの』を用意しておいで」と理由を丁寧に伝えるのが好き。ボビーが一生懸命でとても健気。見つけた「いいもの」も素敵。

とにかく絵が可愛くて大好きだった。

 

『世界の民話』(矢崎源九郎編、実業之日本社、1988年)世界の民話(子どもに聞かせる) [書籍]

世界各国の民話が81編収録されている。挿絵はほとんどないが、藤城清治の影絵がたまに挿入されている。我が家では読み聞かせ用の本だった。動物の話、悪魔や天使の話、お姫様や王子様が登場する話、短い話から長い話まで、バリエーションに富んでいる。

小学校3年生の時、インフルエンザにかかって、家族のお出かけに参加できなかったことがある。父が付き添いで留守番、私も熱は下がって元気だったので、父が「『世界の民話』を読もうか」と言い出した。習っていない漢字も少しはあるが、調べれば自分で読めるし、友達で今だに読み聞かせをしてもらっているなんて聞いたこともない。少し居心地が悪かったが、父の親切を無碍にできず、結局読み聞かせをしてもらった。こそばゆい気分だった。思えば、あれが最後の読み聞かせだったように思う。

映画『ロボット・ドリームズ』

パブロ・ベルヘル監督『ロボット・ドリームズ』を見た。

klockworx-v.com

 

舞台は1980年代のニューヨーク。虚な目でテレビを眺める孤独なドッグ。そのとき、彼はテレビCMに心を動かされ、友達ロボットを購入する。

稼働した瞬間からニコニコ、ニューヨークの街を歩く時も周りに興味津々、駅の改札もジャンプ、そんなロボットと一緒にいてドッグも穏やかな表情。2人の楽しい時間は、見てるこちらも幸せな気持ちにしてくれた。

海で遊んだあと、ロボットが錆び付いて動かなくなり、2人がバラバラになってからが映画の大半を占める。運が悪いことに、ロボットを回収するには来年の海開きを待つしかない。

 

海に残されたロボットは、何度も何度もドッグとの再会を夢に見る。2人で見た『オズの魔法使い』の黄色い道を思い浮かべたり、鳥の親子と交流したりしながら。

 

再び1人になってしまったドッグは、ロボットと違って自由に動けるからこそ辛かったと思う。ロボットがいなくても月日は巡り、すれ違う人たちはみんなパートナーがいて楽しそう。スキーに行ってみてもアリクイの二人組にからかわれて怪我をする。仲が良くなったダックはヨーロッパに移住してしまう。

そもそもドックは友達付き合いが苦手な印象がある。生きるのが不器用というか…。友達は欲しいけれどあまり内面に興味を持てないような。他者と深く関わることを避けてきたような。だからダックからの手紙も返すことはなさそうだなと思った。

 

ディズニー映画なら、例えばトイ・ストーリーなら、信じる気持ちと行動と運で、映画のラストで再会できたはずだけれど、現実はそう上手くいかない。可愛いアニメーションなのに、描かれているのは現実だ。人生だ。

2人はそれぞれ違うパートナーと出会い、それぞれのパートナーと踊る。それは寂しいことかもしれないけれど、ドッグとロボットの出会いがなかったことになるわけじゃない。確かに存在したのだ。

 

ロボットがドッグから姿を隠したとき、その決断に涙がボロボロ出てしまった。今の生活も悪いものじゃない。ラスカルはいいやつでだし、ドッグの横にも新しいパートナーがいる。

2人はまた違う機会で再会するかもしれない。もう2度と会わないかもしれない。でも、笑っていて欲しい、元気でいてほしい、お互いにそう願いながら、ニューヨークの空の下で、生きていくのだと思う。

ミュージカル『ゴースト&レディ』

劇団四季製作『ゴースト&レディ』を見た。

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藤田和日郎黒博物館 ゴーストアンドレディ』を原作とした、劇団四季の新作ミュージカルだ。もともと原作が大好きだったので、楽しみにしていた。

感想は、「すごかった」に尽きる。単行本2冊を2時間50分にまとめ上げた構成、耳心地のいい音楽、イリュージョンなど、原作へのリスペクトを感じさせながらもまた違った作品に生まれ変わっていた。

以下、原作もミュージカルもかなり細かいところまでネタバレしています。

 

原作との大きな違い

①黒博物館のキューレーターは登場しない

②生霊の設定がない

③物語のキーになるアイテムが「かちあい弾」から「ランプ」へ変更

④ゴーストは人間を殺すと塵となって消えてしまう

⑤元婚約者アレックスと新米看護師エイミーがオリジナルキャラとして登場

⑥グレイとフローの初対面の際、フローは既に看護師になるという夢は叶えている(クリミアでの任務を家族から反対されている)

などがある。かなり違うな?!

なのにこの満足感…。展開が違っていても原作もミュージカルも「同じキャラクター」としてブレないでいてくれるのが大きいと感じる。

 

改変で残念だと感じたところ

・グレイの口上が短くなった

 かつて決闘代理人だったグレイは、幽霊になってからも決闘を申し込む際、長台詞を言っていた。それがミュージカルでは「君に決闘を申し込む!」だけになってしまっていた。あの台詞かっこよくて好きだったのに…。

 

フィッツジェラルドのキャラ変更

 原作でのフィッツジェラルドは最後まで上司であるジョンホールの命令に従い続ける。最期の言葉も「命令に従っただけだ」と。その言葉がフローの心に怒りをもたらし、ジョンホールに「戦争は考える力を奪うのだ」と、フローは強い強い主張をする。この部分はすごく大切なメッセージだと感じていたので、この部分が省略されたのはすごく残念だった。

 

改変で良かったところ

・グレイの生きていた頃の名前

 原作では孤児院に適当につけられた「ジャック」は、ミュージカルでは生みの親につけてもらったものに変更されていた。だからラストシーンでフローがグレイのことを「ジャック」と呼ぶのが良かった。

 

・デオンの最期

 「ゴーストは人間を殺すと塵となって消えてしまう」という設定があるからこそ、デオンは「どうやってゴーストとしての最期を迎えるか?」と考え、「クリミアの天使 フローレンス・ナイチンゲール」を標的にした。その動機付けが上手い。また、最後のグレイとの戦いでグレイに敗れ、満足そうに消えていくのが、原作よりも丁寧に描かれていて嬉しかった。

 

・アレックスとグレイの対比

 アレックスは良くも悪くも英国紳士で、フローへのプロポーズに素晴らしいサムシングブルーを用意する。フロー以外のごく普通の女性なら心から喜ぶようなものも、相手がフローなので断られる。クリミアでの任務も途中から参加してフローを支えるかと思いきや、フローに「きみなら1人でもきっと大丈夫」と言い捨ててエミリーと共に本国に戻っていく。

 対してグレイはフローのためだけのサムシングブルーを用意したし、フローを最後まで信じた。フローとグレイは共に戦うパートナーとして絆を深めていったのがいい。

 

・「信じる」という主題

 これまでの人生で裏切られ続けたグレイがフローを信じたことだけでなく、フローもグレイを、そして「私が選んだ道」を信じる、というのがすごい。エミリーが辞めると言ったとき、グレイに「ひとりぼっちで辛い」と吐露していたのが、最後にはフローは「自分が死んでも誰かがこの道を歩く」と未来を信じる。その姿を見て、観客はフローの意志をしっかりと目に焼き付ける構造になっている。

 

演出

スコット・シュワルツの演出はとてもわかりやすく、センスに溢れている。回想シーンはモノクロを基調としていたり、場面転換もスムーズ。舞台が劇場からクリミアに移る際も、ドルーリーレーン劇場2階から地図を下ろす演者が舞台スタッフの衣装を着ていたりと、細かい。

最後の戦いが終わり、舞台に1人残されたフローが絶叫した後、幕が下まで落ちきるのが、フローの悲劇はここまで、という区切りなのだと感じた。そしてハッピーエンドにつながる。

幽体離脱やフライングなど、イリュージョンも色々で目が足りなかった。

グレイがフローに霊気を与えるシーンは、浮く必要あったのか?そこだけ疑問。

 

音楽

フローとグレイが屋敷に向かう際の音楽「俺は違う」がホーンテッドマンションみたいで可愛かった。クリミアに向かう「走る雲を追いかけて」は聞いていると元気をもらえる。

デオンのダンスもとてもかっこよかった。目が釘付けになる。

リプライズが多く、耳に残る音楽ばかりで、歌詞も聞き取りやすい。フローの歌は高音が多くて難しそう。

本当に演者はすごい。

 

新作ミュージカルとして

そもそも、劇団四季がコロナ禍で新作ミュージカルを作る、となったときに医療従事者を主人公にしたのがすごい。コロナで辛い思いをしたであろう医療従事者への大きなエールになるだろうし、自分の仕事に誇りを感じる人もいると思う。もしかしたら看護師を志す人も出るかもしれない。

また、原作者との関係性もよくて、安心させてくれた。藤田先生が絶賛しているのがファンとしてはとても心強い。島本和彦先生や高橋留美子先生も観劇していて感想をHPやTwitterで述べてくれているのが良かった。

 

総括

11月10日(日)13:00公演、11月11日(月)13:00公演(東京公演千秋楽)はライブ配信があるので是非みてください。また、2025年春は名古屋公演、冬は大阪公演が発表されました。また東京に戻ってきてね。

映画『私がやりました』

フランソワ・オゾン監督『私がやりました』を見た。

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クライムミステリー? ブラックコメディ? 女性の賢さや強かさが、見ていて気持ちよかった。女性の地位向上や『#Metoo』運動の要素も盛り込みつつエンタメ作品に仕上げているのがすごい。母性や友愛を強調している『しあわせの雨傘』よりもこの作品の方が好きだ。

 

有名映画プロデューサーが殺害される。容疑者の若手女優マドレーヌ(ナディア・テレスキウィッツ)は、弁護士ポーリーヌ(レベッカ・マルデール)の助けを借りて正当防衛を主張し、無実を勝ち取る。

 

検察官の侮蔑に満ちた発言に対して、毅然と接するポーリーヌがかっこよかった。パンツスーツがよく似合っている。お風呂のシーンの仕草で、ポーリーヌはマドレーヌを愛していると思った。マドレーヌは気づいていないし、彼女の結婚に対してもポーリーヌは応援しているので、思いを告げることはしないつもりなのだろう。

 

一躍時の人となったマドレーヌを見て、大女優オデット(イザベル・ユペール)が登場してから、話がややこしくなる。イキイキしていて憎めないキャラ。

 

ラストの終わり方はかなり力技な気もするが、ハッピーエンドなので後味はいい。マドレーヌは本当にその男でいいのか?

映画『しあわせの雨傘』

フランソワ・オゾン監督『しあわせの雨傘』を見た。

1977年フランスを舞台とした、女性の社会進出、自己実現がテーマの明るく楽しい映画だった。どの衣装も可愛いかった。

雨傘工場の創業者の娘、スザンヌカトリーヌ・ドヌーブ)が、病で倒れた夫ロベール(ファブリス・ルキーニ)の代わりに会社のストライキを収めるところから話が始まる。彼女の優しさと朗らかさ、改革によって工場を建て直して終わり、と思いきやその先があって意外だった。

 

スザンヌVSロベールになったとき、娘ジョエル(ジュディット・ゴドレーシュ)がロベール側についた理由が切なかった。旅に出てしまう夫にポジションを与えたい、夫の気持ちを繋ぎ止めたい、子供たちの父としてそばにいてほしい…。かつては母スザンヌに皮肉を言っていたはずなのに、この展開にはやるせなさを感じた。

対して独り身の息子ローラン(ジェレミー・レニエ)は最後までスザンヌを支えるのがよかった。秘書ナデージュ(カリン・ビアール)もスザンヌに影響されていく様子がいい。

 

かつて関係を持ったババン(ジェラール・ドパルデュー)も、その当時スザンヌが他にも色々な男性と関係を持っていたことを知り激昂するのが怖かった。実はローランが自分の息子だったのかも、という期待が打ち砕かれたのはまぁ同情できるけど、捨て台詞の「ロベールはメス犬と結婚したんだな」は最低すぎる。その後の手のひら返しによって、これまでの応援は下心ありきだったんだなと思う。

 

ラストはスザンヌの演説で終わる。「大きな傘の下でみんなを抱きしめたい。みんなの母でありたい。」と。これまでの敵だったロベールも、ババン、政治も、全てを包み込む広い愛を提示している。

最近嬉しかったこと

1. 初めて来店した居酒屋がおいしかった

気になっていたが、いつも混んでいる近所の焼き鳥屋に行ってきた。

ぼんじりと砂肝が美味しかった。地元の有名な日本酒がお店に置いてあったので、それも嬉しかった。帰省した時も飲んだのに、居酒屋にあるとつい注文して布教活動に勤しんでしまう。

 

2. ブラインド商品をつい買ってしまう

嬉しいこと、とは少し違うけれど。ガチャガチャとか、1番くじとか、ガラガラくじとか、ついつい引き寄せられてしまう。ブラインド商品に挑戦するときは、「どれが当たっても喜べる」ときだけと決めている。出た商品に対して「ハズレだー」と思うこと自体が嫌なので。開けるときはワクワクするし、うちに来たからには大切にしようと思う。

でもやっぱり欲しい商品が欲しい人のもとにきちんと届くように、企業はブラインド商品の販売をほどほどにして欲しい。

 

3. 2025年手帳を買った

11月始まりの手帳を使っている。新しい手帳に既に決まっている予定を書き込んだり、無地の表紙にシールを貼ってカスタムしたりするのが楽しかった。もう何年も連絡をとっていない友人の誕生日を書き込むか少し悩んだけれど、書かないのももったいないかなと思って書き込むことにした。

 

4. 歩いて50秒の距離に公園を見つけた

保育園児の散歩の声がたまに聞こえている、とは思っていたが、めちゃめちゃ近所に小さな公園があった。普段使わない道を歩いてみると、思いがけない発見がある。

 

5. 扇風機を捨てた

押し入れに入れっぱなしで全然出番がない扇風機を、思い切って捨てた。ずっと使っていないのに、捨てるためだけに扇風機を組み立てる必要があり、扇風機に申し訳ない気持ちになった。押し入れにスペースができたので、それは嬉しい。

 

映画『花嫁はどこへ?』

キラン・ラオ監督『花嫁はどこへ?』を見た。

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花嫁の入れ替わりによって夫とはぐれてしまったプール(ニターンシー・ゴーエル)。内気で従順、夫の村の名前も思い出せない世間知らずの彼女が、マンジュおばさん(チャヤ・カダム)と出会い、自信を身につけることができて良かった。家庭料理が売り物として商店に並び、その対価としてお金を手に入れることができたのは、彼女にとってとても大きな意味があることだと思う。

マンジュおばさんの、「ちゃんとした女性」という言葉に騙されている、という言葉は、抑圧されている女性たちの心に刺さる。謙虚であれ、従順であれ、という教えは、今困っているプールを何一つ救ってくれない。

プールを救ってくれたのは、聡明なジャヤ(プラティバー・ランター)の行動のおかげだ。

 

ジャヤが偽名を使ったり写真を拒んだりする狙いがなかなか明かされず、見ていてハラハラした。マノハル警部補(ラヴィ・キシャン)の尾行がとてもコミカル。

ジャヤは結婚相手から逃げ出したい、大学で農学を勉強したい、と考えており、そのためにこの花嫁入れ替わりを利用していた。勉強することすら夫の許しがないとできない、というのは衝撃だった。

ディーパク(スパルシュ・シュリーワースタウ)が誠実な男で、ジャヤを地元に帰してあげたい、プールを見つけたい、と一生懸命な様子で好感が持てた。その真摯な姿勢にうたれ、ジャヤは顔も知らないプールのため、行動に移した。

ディーパクの母の料理を褒めたり、親戚の女性の画力を伸ばすべきだと諭したり、ジャヤと村の女性たちとの交流が素敵だった。

 

警察の腐敗が描かれると思いきや、ラストのマノハル警部補がかっこよかった。ジャヤがDV野郎の実家のアクセサリーを捨てていくのもいい。

 

夫の名前を言うことがはしたないという価値観の中で、プールが駅でディーパクの名前を叫び、2人が再会できたこと。再会できたという知らせを聞いてマンジュおばさんがこれまで控えていた甘いカラカンドを食べたこと。ジャヤが大学へ出発する際の、ディーパクの母や親戚の女性の選別…。

とても気持ちのいいラストだった。

 

映画の中の設定は2001年。それから23年経っている。監督のインタビューでは「まだまだ過渡期」とある。これからも、連帯すること、声を上げることが大切なのだと感じた。

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