「細いのによく食べるね」が本当に不快
「細いのによく食べるね」が本当に不快。
そう言われて嬉しいと思ってるの?
そう言って機嫌をとったと思ってるの?褒めたつもり?
でもこれこのご時世セクハラになると思うんだよね。
一人暮らしだから食事はテキトーで、朝ごはんはギリギリまで寝るから食べないし、お昼はおなかぺこぺこだから日替わり定食を頼む。
食への興味が人より少なくて、好き嫌いがないから常に日替わり定食。
夜ご飯は基本コンビニ弁当だし、とりあえず200mlパックの野菜生活を箱買いして1日一本飲むことで野菜をとっているつもりになっている。
食事は作業。
別に日替わり定食は成人女性も平らげることができる量だし、カロリーも普通で、それを毎日食べてるだけで「よく食べる人」認定されるのも謎。
毎日同じような食事をしてたら体型が変化することもないし、ただ生きてるだけでなんでお前に褒められなきゃいけないの?ていうか褒めてないし。
自分のスタイルについて文句はつきないし。痩せているとは思っていない。ただタイトスカートが好きでそればっかり着てるから細いと思われたのかもしれない。(どうでもいいけど女性向けのエロ漫画の「着痩せするタイプ?」の意味が最初わからんなかったけどあれって胸があるってことなんね、女の妄想の賜物って思った)
「細い」に対してなんて返すかもだるいし。
「ぜんぜん細くないです〜」「お昼は好きなだけ食べていいことにしてるんです〜」とか?
だる。ほんっっとにだるい。だってただ生きてるだけなんだから。
「生きてるだけなんで」って言ってみ?意味わからんやん。
「努力をしていないのに褒められることへの居心地の悪さ」。「自分が細いと思っていないのに他人から細いと言われて喜ばなくてはいけない状況」。「セクハラになりうる発言という自覚なく、褒めてやったぜ感のある相手の顔」。ああもう嫌。
「細いのによく食べるね」がセクハラだと思わない人もいると思う。それなりの関係性があればなんてことない日常会話になる。それなりの関係性があっても嫌な人もいる。その見極めも難しいし、嫌でも嫌って顔しない人もいる。
体型に言及するのは難しいので気をつけないとね。
おわり。
トランスレーションズ展@21_21 DESIGN SIGHT
2021年一発目の美術館はずっと行きたかった「トランスレーションズ展 - 『わかりあえなさ』をわかりあおう」。
面白かった!「翻訳」がテーマでこんなにたくさん展示ができるんだ、と驚きました。翻訳ときいてまず連想されるのは言語だと思います。Google翻訳を使った展示も楽しかったし、翻訳できない表現、その国ならではの言葉の紹介なども良かった。日本語からは「木漏れ日」と「積ん読」が紹介されてたかな。イラストも可愛かった。
この展覧会では、自分の感情を言葉にして表現することも「翻訳」、障害者が音の振動やスポーツ観戦をより身近に感じるための機械やコミュニケーションの模索も「翻訳」と捉えていて、「翻訳」を違う視点から考えることができました。
自分の語彙力のなさや表現力のなさに嫌気がさしたり、歯がゆかったりした経験がたくさんあるので、前者の「翻訳」はすごく親近感が湧きました。で、思い出したのがポルノグラフィティの「パレット」の歌詞
だって知っている言葉はほんのちょっとで
感じれることは それよりも多くて
無理やり 窮屈な服 着せてるみたい
「『わかりあえなさ』をわかりあおう」というサブタイトルがあるように、翻訳のなかでこぼれてしまう感情やニュアンス、伝わらない気持ちなどは絶対にあって、自分の感情→自分の言葉もそうだし、もちろん人⇄人も絶対にわかりあえない。でもこの展覧会ではそのことを前向きに捉えて、他人との違いや翻訳から生まれる「誤訳」を楽しもう!という姿勢が胸にストンときました。
他にも生物と人間とのコミュニケーションや、縄文土器を現在の暮らしに溶け込ませるプロジェクトなど、幅広い分野の「翻訳」を楽しみました。